純米一合冷やで

酒がうまい

菅名岳 寒九の水仕込 生原酒

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世の中に山行の目的はいろいろあれど、酒の仕込水を汲むための山行は新潟ならではという感じがする。今年の1月に新潟県五泉市にある酒造・近藤酒造が主催する「寒九の水汲み」に参加した。このイベントでは新酒の仕込水を、菅名岳という山の中腹に湧く「どっぱら清水」までボランティア約300名が徒歩で汲みに行くというもの。途中の道は登山道である。

 

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2015年仕込 熟成純米酒 ゆきびじん

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磯自慢が切れて口が寂しくなったので、ナチュレ片山で目に付いたこれを買ってみた。純米酒、しかも4年も熟成させてる!絶対好みのやつやんと思ってカゴにIN。

(酒の陣がコロナウイルスで中止になった無念さを晴らすべく酒の陣のお猪口に注いでみると、)まず香りがいい。熟した日本酒特有のしっかりした香りの中にちょっとフルーティな要素もある。色は意外と透明、飲むと口当たりはまろやか・柔らかい感じで水のよう。途中から旨味とともに熟成香がふわ〜として最後にごく僅かに酸味が残るかも。苦みやアルコール感はあまりない。4年も経っているので当然なのだが全体的に角が取れつつ、でもスッキリさも失われてないバランスの良いお酒だと思った。熟成香がきらいでなければ。

 

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ところでこのお酒の瓶、面白い。全体がすりガラスのようになっていてラベルの上だけ透明になっている。背面ラベルの裏面に印刷された雪景色がこの「窓」の部分から見えるようになっている。苗場山麓に清水をもたらす雪を想像させる。

 

今日のアテは茨城県・高木商店のサバの味噌煮缶と、ウオロクでみつけたニギスのつみれの汁。ふくよかなお酒には味の濃いものが合う気がする。

 

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後知恵バイアス

谷川岳天神平で中学生が一時行方不明、翌日無事発見された件。

 

群馬県みなかみ町のスキー場で11日、スノーボードをしに訪れ、行方が分からなくなっていた千葉県の中学3年の男子生徒は、12日昼過ぎ、スキー場の近くの山中で見つかり、警察に保護されました。けがはないということです。
行方が分からなくなっていたのは、千葉県浦安市に住む中学3年の15歳の男子生徒で、警察によりますと、生徒は11日、群馬県みなかみ町谷川岳天神平スキー場に父親と一緒にスノーボードをしに訪れていましたが、午前11時ごろ姿が見えなくなったということです。

警察は11日に続いて、12日朝からヘリコプターや山岳警備隊を出してスキー場の周辺を捜索していましたが、スキー場とは反対側の山の斜面で、一般の人がスノーボードが落ちているのに気付き、そこから足跡をたどって12日午後1時ごろ、生徒を見つけたということです。

生徒は山岳警備隊に保護され下山したあと、近くの病院に搬送されましたが、けがはなく、健康状態も問題ないということです。

警察やスキー場によりますと、親子が滑っていたのはスキー場のコースの外の整備されていない場所で、客の立ち入りが禁止されているということです。警察は、生徒が遭難したいきさつなどを調べています。(NHKニュースより)

 

本件、日本雪崩ネットワークが警備隊と本人に取材した記事がアップされている。経緯には色々問題があったにせよ、本人が雪洞泊を冷静に判断し、その後無事に保護されたのはよかった。

https://www.nadare.jp/magazines/12

で、この記事の中に「後知恵バイアス」という聞き慣れない言葉が出てきた。調べてみると結果を知った後にその結果がさも予測可能であったかのように認知してしまうことを指すようで、ウィキペディアにも項目立てしてあった。この言葉、どの範囲でバイアスとするか結構難しいとは思うのだけれど、登山界隈のいわゆる死体蹴りを説明しうる概念だと思った。自分も時折、ニュースを見て、冷静に分析しようとしつつもこういうものの考え方をしていることがある。これでは、結果の情報がない状態で実際にその状況下に置かれたら、たぶん遭難する。

このバイアスを断ち切って、同じ状況下で自分ならどのように行動するか?ということを意識しておくのも、遭難への備えとしてきっと有効なんだろう。

The First Tree

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狭義のゲームには当てはまらないが、特別な体験を提供する実験作

Switchのダウンロードソフト「The First Tree」を遊び終わった。セールで500円で入手、プレイ時間2-3時間ほど。

ぱっと見、四つ足動物を操れる珍しい箱庭アクションのように見えるが、実際のジャンルはノベルゲームに近い。というかノベルゲーのような選択肢もほとんどないので、小説か絵本の朗読と言った方がいいかもしれない。基本的には草原を道なりに走り、難しいアクションを求められることもない。だからといって面白くなかったかというと、そんなことは全然なくて、狭義のゲームかと言われると微妙なところだけど、今までのゲームになかった体験ができて良かった、という感想になる。

この「作品」はゲームというプラットフォームでインタラクティブに物語を進めることで、最後に強いメッセージ性のあるエンディングを作り出すことに成功していると感じた。画面は抽象的な造形ながらも色彩表現が素晴らしいし、その背景には夜寝る前にやるのにいい感じの落ち着いたピアノ曲が流れる。なので、「作品」という形容が妥当かなと思う。

惜しいところをひとつだけ書くとすれば、語りがない部分の尺の長さかな…演出上特に必要なさそうなところでずっとスティックを倒して進むだけ、みたいな場面がいくつかあって、そこは若干退屈だった。とはいえ全体でたかだか2-3時間のうちの一部なので、我慢できる範囲ではある。

 

(ネタバレ)

最後の仕掛けはすごく良かった。自分の木に書き込まれていた文言は(正確な内容は忘れてしまったけど)幸運にも物語にフィットした素敵なものだったので、物語が終わるまでこれが「仕掛け」によるものだと気づかなかった。一人ひとつのエンディングになることで自分だけの特別な物語になる、貴重な体験をさせてくれるゲームだった。

 

Zライトソルの切れ端座布団

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Zライトソルの切れ端で座布団を作ってみた。

私はZライトソルのSサイズを横幅40cmに切って使っているので、11*130cmの切れ端が家に余っていた(貧乏性なので捨てられなかった…)。日帰りの雪山で休憩するときに、100円ショップの座布団だとだんだん潰れて尻が冷たくなるのが最近気になっていたので、その代わりになればいいかなと思って作ってみた。

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細長い切れ端を折り目3つ分でさらにカットして細引きで適当に結んで完成。ゴム紐を使えばめちゃくちゃ小さく折りたためそう。

新田次郎「孤高の人」

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新田次郎孤高の人」をいまさらながら読んだ。パーティ登山が一般的だった20世紀初頭に数々の単独登山記録を打ち立てた社会人登山家・加藤文太郎を題材にした小説だ。山岳小説には今まで触れてこなかったのだが、山岳会に入って登山家と言われる人たちの考え方に興味を持ったこと、あとちょうどスマホKindleで電子読書を体験してみたいということでポチった。

この本を読む前に、タイトルから想像した加藤文太郎像は、非常に高尚な思想を持っていてどこか人間を超越した近寄りがたい存在に近い人物だったが、話中の彼はむしろ正反対の性質であった。寂しさから人を求めるものの、生来の不器用さが災難して他人から拒絶されつづけ、苦悩・葛藤する一人の人間として描かれる。現代的な感覚からしても親しみを持てるような人物だった。ただし山では持ち前の緻密な計画性と冷静な思考力で孤独の中にも己の道を見出し、数々の単独登山を成功させていく。孤独という性質によって、社会的なくるしみと登山家としての名声という相反するものを併せ持つ状況が対比的に描写される。

この小説中の加藤は、「最期」の山行で初めてパーティ登山に赴き、無謀な計画に巻き込まれて冬の槍ヶ岳・北鎌尾根に消える。しかし調べてみると史実はちょっと異なるようで、本当は初めてのパーティ登山は槍ヶ岳よりも前に行っていたようだし、槍ヶ岳で無謀で横柄な行動計画を推し進めた宮村健のモデルだと言われている人物は実際には堅実で謙虚な性格であったようだ。本書のタイトルの通りこの小説の主題は加藤文太郎の孤独である。次々と現れては消えゆく学友も、影村も、雪崩に消えた剱沢小屋のメンバーも、それを象徴づける存在だった。そして、クライマックスでその事実をさらに強調するために史実とは異なる道筋をあえてなぞり、人を求めて人に拒まれ続けた加藤が最後に人と行動を共にした山行で命を落とすという悲劇的・皮肉な結末で主題を浮き上がらせることに成功している。その最期はあまりに寂しく、しばらく余韻に浸った。

ただ、幾分の創作が含まれるためか槍ヶ岳のパーティ登山以降の加藤の行動にはちょっと違和感を覚えた。それまで綴られてきた加藤との連続性があまり感じられなかったように思う。初めてのパーティ登山だからといっても、結婚後に社交性を得た加藤が沈黙を続けた理由、またちょっとした言い間違いで北鎌尾根から引き返す最後のチャンスを失ってしまったことなど。これらはパーティ登山に不慣れであったことに帰結させることもできるけれど、それだけでは説明しきれない不気味さを感じた。

実際の加藤の遺体は天上川で見つかり、近くにはピッケルが打ち立ててあったそうである。単独行の加藤であれば起こり得なかったように思える遭難、本書は加藤の人生における壮大なテーマの締めくくりとして解釈しており、それはそれで素晴らしい結末だったが、一方で実際の顛末はどうだったのか?そちらもまた、いち登山者として気になった。