純米一合冷やで

酒がうまい

ギッフェン財

この間仕事で調べ物をしているときにたまたまこの言葉を知った。私は経済畑とは全く無縁に生きてきたので知らなかったのだけれどミクロ経済学で使われる用語らしい。

ほんとうは正常財や劣等財、所得効果や代替効果の考えのもとで解説されるべき概念だけど、簡単に言ってしまえば「価格の増減と需要の増減が一致するもの」、あるいは「価格が安くなるほど需要が減り、価格が高くなるほど需要が増えるもの」である。

ふつう、物が安くなれば我々消費者の需要は増大するし、逆に高くなれば減少する。いわゆる需要曲線をイメージした時の形だ。ところがギッフェン財は、前述の通り、それとは逆の需要の反応を示す財(商品)らしい。直感的に考えてそんなものありえるのか?と疑問に思ったら、wikipediaに実例(と思しきもの)が載っていた。ただしこの条件は結構特殊そうだ。ゆえに実際のところは「ギッフェン財は理論上の存在」と考えるのが共通見解?のようだ。

ところが興味深いのは水産物においてギッフェン財とも思える反応を示す事例があること。マトウダイスケトウダラで確認されているらしい。別に他の分野でギッフェン財が存在するかどうか確かめたわけではないので、水産分野で特別多いとかどうとかはわからない。ただ、原因を考えてみると結構面白くて、ひとつにはギッフェン財の典型的な「代替財が限られていて需要がそちらに傾く」パターン。たとえば加工品の原料などは代わりに使える物が限られているから、これに当てはまる可能性がありそう。また、別の可能性としては「ロット数が揃わないと値段がつかない」という市場の事情を反映しているパターン。これは仲卸の固定コストが影響していて、例えば魚が1匹だけ取れてもスーパーで刺身パックにすることはできない。利益が出ないからである。だからある程度まとまった箱数が揃わないと市場では値段がつかず、結果的に数量が多いほど値段が高くなるように見える。

後者をギッフェン財と扱うのかどうかは私は専門ではないのでわからないけど、値段のつき方を考えてみるに我々の業界はちょっと特殊だなと改めて思った。

ソロキャンプ

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前回ツェルトの試し張りをしたのに懲りず、今度はソロキャンデビューしてきた。ソロキャンと書くとかっこいいけどつまりはぼっちでピクニックだよなこれは。

ことしはすでに給料1ヶ月分を氷を登る以外の用途がない道具に溶かしたり、餌代がばかにかかるクルマを飼い始めたりしたので、これからキャンプ趣味に手を出す余裕はもうない。そこで基本的には登山道具を流用することにした。で、設営したのが↑の写真である。どことなく「ソロキャン🏕🍳🍾✨」よりも「漢の野営塾💪」な雰囲気が強く漂っているのはなぜなのか。

お昼寝空間のツェルト+タープ前室という形は前回と同じだけど、今回はツェルトの前側ポールをタープと共用にしたり、サイドのポールを1本追加したりして、少しだけ居住性とプライバシーが向上した。しかしキャンプ初心者ゆえにおそらく独創的な名もなき張り方をしている。

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裏から見ると謎い。

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女子力皆無のゴリラなのでおしゃれなキャンプ飯の概念はなかった。花より団子、インスタ映えより肉。スーパーで買ってきた惣菜をキャンプ場でいただく。出だしが遅くて本物のビールが飲めなかったのが残念(車で帰るので)。

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しかしゴリラでも気まぐれで料理をしてみようという気になった。しかしハイパー適当なので下処理などの概念はなく、ブロッコリーをそのまま持ってきた。

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ブロッコリーを適当に切って茹でて、ニンニク・鷹の爪で香り付けしたオリーブオイルに他の具材とともに投入すれば、キャンプ飯の定番中の定番アヒージョの出来上がり。

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ベビーホタテ、エビが異様に高くて妥協した選択肢だったのに思いのほかおいしい。

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とどまるところを知らない食欲に任せて玉ねぎをアヒージョの余りに投入、

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トマトソースとパスタと絡めてアラビアータ風にした。関係ないけどこのひしゃげたメスティンは3年ぐらい使っていて、焦げがついたりして結構汚いんだけど愛着が湧いてしまいなかなか買い替えられずにいる。ちなみにうちの会には四半世紀以上同じコッフェルを使い続けてその伝説的な汚さが語り継がれてしまっている山の先輩がいる。

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食べるだけ食べたら欲望に忠実に従ってツェルトの中に横になってみた。下地は杉の落ち葉なのでふかふか、マットだけで快適だった。中であぐらをかいて座ると流石に天井に頭がつくが、思っていたよりは広い。これでサイドリフターをつけたら結構快適になりそう。沢の音と鳥の声が聞こえるなか、アリと一緒に昼寝をした(ツェルトの下面は塞がってないので来るもの拒まず状態)。

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結局なんだかんだで夕方ギリギリまでのんびりして、17時ごろに撤収。荷物はギター以外はザック1個におさまったが、久しぶりに背負うザックはちょっと重かった。

GRB納車

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2年半お世話になったDJデミオくん(DJ3FS)とお別れをして、インプレッサ WRX STI(以下GRB)に乗り換えた。つい2週間ほど前のこと。

私のGRBへの想いは結構、根だけは深くて、思い出してみるに一番最初にあのかっこいい車はなに!?と意識したのは大学生のころだったと思う。もう8年も9年も前のこと。当時はスポーツカーはおろか車本体にすらあんまり興味がなくて、免許も迷わずAT限定を取ったほどだったけど、それでもなんだかちょっとした恋心みたいなものを感じてしまう車だったし、街で見かけたらよく目で追っていた。

その後、周囲の影響もあって在学中にだんだん車に興味が出てきて、私は最終的にハッチバックのラリー車が好きになった。で、その頃になってようやくこの車の正体を知ることになる。歴代インプレッサ唯一のハッチバックで、最後のWRC出場車両。当時最強の2リッターエンジン、EJ20。公道を4輪で掴んで駆け抜ける夜空のブルー。単なる速いハッチバックだけではない素晴らしい夢が詰まった車だったことがわかって、憧れはさらに強くなった。

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ただ、やっぱり素晴らしい車に乗るには先立つものが必要であって。社会人になっても憧れは消えなかったけど、中古ですら、とてもではないが新卒の手が届く値段ではなかった。なので、初めてのマイカーにはそれなりにお手頃だったDJデミオくんをお迎えした(年間2万キロのペースで走って色々なところに行ったけど、スイスイと軽快に付いてきてくれる可愛い相棒だった)。そして2年半後、わざわざ教習所に通ってマニュアル免許を取って、必要なものもかき集めて、ようやくちょっと過走行のGRBに手が届いたのだった。色はもちろんWRブルー・マイカ。女に青は似合わないと言われようがそれ以外の選択肢は私にはなかった。キモオタブルーでいいじゃないの。

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GRBは速いのはもちろんなのだけれど、私が特筆したいのはそのデザインで、他の国産ハッチとは一線を画す格好よさがあると昔から思っている。正面から見た時にまず目に入るのが、迫力のあるブリスターフェンダー、そしてそこからフロントバンパーにつながる曲線。斜め後ろからこの部分を見ると意外とすっきりしていて、フェンダーアウトレット(実は中で開口してないらしい)がさり気ないのもデザインの妙。逆に、リアのフェンダーは前から見ると大人しいが、後ろから見るとその筋肉質なラインはさながら鍛え上げられた大腿筋のように浮かび上がる。その膨らみを保ったままリアバンパーに繋いでいるので、真後ろから見た時のボリューム感は迫力があるし、全体的に台形のようなシルエットになっていて低重心をイメージさせる。DJデミオの時もそうだったけど、もしかしたら私はちょっと有機的な曲線美がある車が好きなのかもしれない。

もちろんマシンとしての美しさもあって、横から見た時のロングノーズ具合も水平対向積んでるんだぜって感じを醸し出しているし、ちょっと地味だけどしっかり4本出てるマフラーも最高に気分が高まる。マシンの詳しいことはまだ勉強中でコメントできないのがGRBには申し訳ないのだけれど、とにもかくにも純正でデザインが完成されすぎている。と、個人的には思っている。

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そういうわけでGRBを迎えてからというものの、毎朝恋人に会うようにコックピットに乗り込み、色気のあるニードルスイープを眺めてご満悦で出勤している。会社の窓からGRBをチラ見しては造形美にニヤニヤする。遅くなった帰りにもそこでじっと待っていてくれる姿が頼もしい(これはデミオでもそうだったが)。まだMTの運転には慣れないからお世辞にも速いとは言えないし、この車を維持することの大変さは経験していないので、GRB乗りとしてはまだまだ駆け出しだけれど、残り少ない余生を大事に乗ってあげようと思う。

大人の秘密基地ごっこ

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さて、前の記事がまるで自己擁護みたいになってしまうので少し恥ずかしいけれど、マジで暇で暇で暇すぎなので、人が全然いない山奥のキャンプ場でツェルトを張る練習をしてきました。

恥ずかしながら今まではツェルトがわりにエマージェンシーシートを携行しており、ツェルトを買うタイミングをずっと逃していた。たまたま年の初めに飯豊を大縦走しようという話があって、ようやく買うことを決意。結局縦走の話はコロナウイルスのせいで立ち消えたのだけど、、(飯豊の小屋も今年の運営方法は検討中とのこと)。買ったのはアライテントのスーパーライト・ツェルト1。軽さと大きさのバランスが良い定番ツェルト。

 

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登山の自粛

新型コロナウイルスの蔓延でなかなか自由に外出できないこの頃。はじめは、野外だし問題なさそう、というゆるい雰囲気だった山岳界もこの2-3週間で山小屋閉鎖、テン場も閉鎖、山梨・長野が登山道閉鎖にまで至り、インターネット上では「全登山自粛」の雰囲気がだいぶ強くなった。まあ、それこそこんな時に遭難したら不要不急もいいところなわけで(カナダでは要救助者と救助隊との間でクラスターが発生し、国立公園が閉鎖された事例がある→https://3pomichi.com/3533)。

そういう状況下ではあるけれども、一方で登山のやり方にはいろいろある。公共交通機関とマイカー、小屋泊と日帰り、里山と高山では感染リスクや救助・医療資源の消費リスクが全然違う。このあたりはYAMAPの「登山の分類とリスク」の表がとても明快(https://note.yamap.com/n/n5e5293998590)。

登山は正直なところ、ほかのお金を使うような活動とは違ってあんまり経済的なメリットがない。特に近隣の温泉や飲食店に立ち寄るのがご法度となった今はなおさら。なので不要不急だと指をさされるのも分からんではないけど、ほかの運動と同じで、心と体の健康維持の一手段として、低リスクな登山(セルフレスキュー可能な範囲で、接触のないハイキング)は続けても良いと思うし、鬼の首を取ったように猛批判する必要はないのではないかなと。

 

関係ないけど、このところ「コロナ警察」とでも呼びたくなるような人たちが目につくようになった。つまりはSNSで感染リスクが高そうな行動を見つけたら頭ごなしに批判する人たちなのだけれど、どうにもウイルスに関する正しい知識、個々人の事情、経済や健康とのバランスという観点がすっぽり抜けているような感じがある。このように他人を安易に攻撃するような雰囲気が広まると、世代間、正規非正規間、業種間、都市・地方間、人種間、思いつく限りのいろいろな社会的対立が深まってしまうような気がする。受け取った情報を自分で整理し、心の余裕を持って過度に干渉せず、できる範囲のことに集中したい。

 

日本赤十字の動画はこのことをわかりやすく啓発している。


【日本赤十字社】「ウイルスの次にやってくるもの」